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工作ブログ「こんこん堂」別館です。

神社好きのただの工作屋だったはずが、
いつの間にやら不思議な環境に巻き込まれ…

現実と非現実のバランスを取るのが難しくなってきたため、
それぞれブログを分けることに…

この世はわからないことだらけ。
理解したいと思う反面、深入りはしたくないという思いもあって、
そういうことに対する考え方も常にグラグラしていたり。

ここでは、ウソ・本当、信じる・信じないには触れず、
起こったことの記録だけしていこうかと。


過去のあれこれはこちらからどうぞ。
正直今になって見ると、色々間違ってたり勘違いしていたのでは、という部分も多いけど、
一応その時点での記録として…

おいぬさまのこと     

産土リサーチ    

今に至るまで         
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お米が大事(?)

昨夜から今日日中にかけてのヒントの群。

・いちごジュース・ときまき・いにしえ・嫁・山鳩・宝冠・埋める・コダック・亡命
・かめ・さくら・ぷくぷく・鯉・猫バス・どうしたの・53・76・80・錦鯉・髭剃り・洞窟・12時

ジュース→デュース→「続行」
ときまき→まき→「撒く」
いにしえ→「過去」
嫁→結婚→「結婚式」
鳩→鳩時計→「時間」
宝冠→大日如来→「太陽」
埋める→埋(まい)→「米」
コダック→「子宝」
カメ→カメラ→「感光」
さくら→警察→「治安」
ぷくぷく→「あわ」
鯉→鯉こく→「こく」
猫バス→「あの世」
どうしたの→どうし→「透視」→「見える」
53→「いっそう」
錦鯉→「さんしょく」
80→はにわ→「犠牲」
亡命→「死」
ひげそり→「げっそり」


で、キーワード転換繰り返したところ、
内容が三つくらいに分かれそうな雰囲気。

一番最初に浮かび上がったのは、
「結婚式の散米で子宝を願うのは無駄」。

結婚式に散米の風習なんてある???とけっこう長い間首をひねってたんだけど、
要は西洋のライスシャワーのことらしい。

なんでそんなことをわざわざ?と一瞬思うけど、
転じて「お米は大事にするべきもの」らしい。
験担ぎとはいえ、神道の神様の立場からすると「やめれ」らしい。
神様にあげる大事なものであり主食であるお米を投げるな、ということか。

正直、「そこまで大事?」と思ってしまうけど・・・
お米の重要性は、あとでまた教わらないとかもなぁ。
邪払いとしての散米はどうなの?という疑問も出てくるし。


もう一つは、
「12時はあの世の時間だから過去が見える」
「黒歴史の拒食症が続いている」

そのままの意味だと思うけど、
「夜中は過去世とつながりやすい」ということか。

寝ている間に勝手に食わされる神饌の数々。
これといった理由もなく、とにかく食べたくなくて吐き出すことが多かったけど、
それが拒食症で死んだ時の影響だということは、薄々わかっていた。

でも、何でそれを今改めて言われるんだか・・・
それとも、大事なのは「過去世とつながりやすい時間がある」ということなのかな。

と、重点がわからず、ちょっと消化不良だけど、
一応解読はできた、と・・・


まだ、キーワード転換したっきり、意味が見えてこない部分もあって、
このあとまた続けて解いていく。

神棚にお塩

昨日の謎解きは、現実問題の対処法だった。

いつも工作材料を買うお店があるんだけれど、
そこへ行く度に調子が悪くなる。

始めは偶然かと思っていたけど、
10年以上も通っていると、さすがに偶然じゃないかも・・・と。

調子が悪くなる原因は謎だけど、
何か対処法があるなら知りたい、とは思っていた。

シックハウス何とかみたいに、超現実的な理由かもだけど、
何か良い方法ないかなぁ・・・と。


で、昨日言われたのは、

「京都の古いお守りの脇にしばらく塩をおいておくとシールドになる」
「最後は(水に)溶かす」

京都の古いお守りというのは、
晴明さんにお札代わりにしてもらった勾玉のことらしく、
DSCF8691_20170724173905dc7.jpg

始めは「古い?」と首をひねったけど、
勾玉は元諏訪の薙鎌守で、確かに家にある期間は長い。

で、晴明さんにお塩を上げて、
そのお塩を使えば、お店での不調を防げる、まではわかったんだけど、
最後は溶かすの意味が・・・^^

お塩を神棚に上げっぱなしにしてお店へ行って、帰ってから水に流して捨てろ、なのか、
加護をお願いしたお塩を持ってお店へ行って、お店滞在中のお守りにして、帰ってから流すのか、
それとも、神棚に上げたお塩を水に溶かして、それで手を洗うなりしてシールドにするのか・・・
とにかく「最後」って具体的にどのタイミングよ?!という・・・

せっかくいいこと教わった!と思ったのに、
思わぬ落とし穴に唸っていたら、
夜、寝る前に関係ありそうな景色が見えた。

気づいたら、透明な液体の入った小さなビンを持っていたんだけど、
手が滑ったはずみで、栓が取れて、両手がぬれてしまった。

たぶんだけれど、「供えたあと水に溶いて、それで手を洗って行け」かと。


ヒヨコの人の本に、
神棚にお塩を上げて、それを舐めると、憑いてきた良くないものを落とすことができる、とあった。

その逆というか、憑いてきたものを落とすんじゃなくて、
最初から憑かれないようにする方法が、供えたお塩を使って手を洗う、なんじゃなかろうかと・・・


ただ、謎なのは、
何で諏訪のお札の神棚じゃなくて、晴明さんの神棚なんだろう・・・
中に入ってるのちゃんとしたお札じゃないのに・・・
遠くの諏訪の神様を頼るより、チームの晴明さんのほうが身近だからなのかな。

とりあえず、次にお店に行く時には早速やってみよう!
工作屋にはご機嫌なお店だし、体調不良無しで買い物が楽しめればそれに越したことない^^

教わったことと無駄知識

今日は朝から謎解き。
カッコつきは昨日から持ち越しのキーワード。
他は昨夜から今朝にかけて収集したヒント。

「きんし」「あるくと」「気の」「島」   
・お守り・下駄・村・おみくじ・サヤ・一寸法師・ミラ・ジョヴォヴィッチ

で、ヒントをキーワードに転換し、組み合わせたり並び替えたり・・・
出てきた内容が以下。

「おみくじは先を知る大事なものだから遊びや楽しみで引くのは禁止」 
「くじの内容に一喜一憂しなくても、正しい道を行くなら神様の加護が幾重にもつく」 

行間を読むなら、
「気休めにくじを引いたりせず、身を慎んで、あとは丸ごと神様にまかせておけ」。

なんか、ものすごくまともなこと言われた^^


最近のヒント群、けっこう厄介。
前は二回くらいキーワード転換すれば、言いたいことが分かったんだけど、
この所、AとBを足してCにし、さらにCとDを足して・・・みたいな感じで、
よくよくキーワードを減らしていかないと、言いたいことが見えてこない、

例えば上で書いた「気の」と「島」、
ここに至るまででも一度か二度元のヒントから転換しているんだけれど、
更にこの二つを合わせて「沖ノ島」。
沖ノ島の謳い文句(?)「神宿る島」で、最終的には「神が宿る」に。
それも、そのままではちょっとなので、
文章としてつながるよう「神様が味方に付く」、「加護がつく」に置き換えると・・・

転換する度に、それで合ってるかどうかカードで確認するわけで・・・
もうカードぼろぼろ・・・^^


ちなみに、朝おみくじについて教わったあと、
一寝入りしたら、またヒント寄こされ・・・
その後、兼さんが収集したものと合わせたらこんなことに・・・^^

・胡麻・ガス台・むらさき・棒付きキャンディ・ゆう・粉砕・篠笛
・穴あき蓮根・いか、かに・さくらんぼ・るん・博士・チャコペン
・イタリア国旗・ガシャ髑髏・お菓子・ホタテ・いのしし・ほくろ
・マリオ・善は急げ・レッドブル・フライドポテト・キス・くたびれた・すもも

で・・・
ここまで寄こすということは、どれほど大事なことかと思って解いて行ったんだけど・・・
最終的に「なんじゃそりゃ?!」になった^^

「イラタカ念珠は刀剣に匹敵する」
「追い剝ぎを平らげられる」

そんな山伏豆知識寄こされても・・・^^
というか、それ本当なのか?
物理攻撃なのか、見えないもの系攻撃なのか、めちゃくちゃ気になるけど、
それよりなにより、そんな話いきなりされてもなぁ・・・^^


で、ある意味どうでもいい無駄知識いれられたところで、
今日は特に大事な指示とかはないのかな、と思ったんだけど・・・
解いて間もなく、兼さんからまた大量のヒントを渡されたと報告が・・・

なので、これからまた解読作業に戻る。

教わったけど・・・

本日の謎解き、一つは兼さん宛、もう一つは自分宛だったけど、
解けた瞬間、「それ、信じて大丈夫か?!」だったり。

キーワードを並べると、

「切った絹があれば榊不要」

なんだけど・・・


整理すると、
「神棚に供えるのは、本物の榊でなく造花のシルク榊で良い」
ということらしい。

う~ん・・・
読めと言われて読んだ本にも、「神棚のお祀りはまず榊を取り替えて」とあったのに、
それ無視していいってか・・・?

造花でいいのか「絹」がいいのか、
その辺を突っ込んだら、「詳細はあとで」で返されてしまった。

まだキーワード転換が微妙なヒントが残ってるし、
その辺解いてけば、また何か見えてくるかも。

しっかし、さすがに鵜呑みにして大丈夫かどうか、ちょっと不安^^

7月21日

数年にわたりあれこれ質問に質問を重ねて、
それでも「あとで」で返されるっきりで何にも教えてもらいないまま来たけれど、
ここ数日、少し様子が違ってきた。
ヒントから謎解きしていくと、「???」と思うような内容が出てきたり。

これ、公開の場で書いていいのかどうか悩むけど、
昨日教わったのは

「三峰でご眷属拝借の際渡される説明書きには、
そのまま受け取らないほうがいい部分がある」

という・・・

まぁ、お祀りの仕方にしろ、付け札の扱いにしろ、
うちのから説明書きとは全く違う方法を指示されているし、
しかもそれに倣っているけれど・・・

三峯神社も大好きだし、
そこで長年伝わっているであろうことに横槍入れようなんてつもりもさらさらない。
さらさらないけど、でも、ここでそういうことを書けば、
そういうことになってしまいそうな・・・

幸か不幸か、お祀りの仕方と付け札の扱い以外、
何がどう間違って(?)いるのかまだ教わっていないから、
これ以上は語れないけど、
何か、追及するとややこしいことになりそうな気がする・・・

ちなみに、説明書きの内容は、こっちに全文まとめてある。


昨日はもう一つ教わった。
キーワードは「百日」「期間」「留守」。
並べ替えて確認したら、
「うちのが留守になるのが100日後」と。

昨日から数えると100日後は10月28日。
時期的におそらく諏訪の神様会議の日程と思われ(確認済み)。

去年は11月3日を含む数日間だったから、
去年より、少し早いらしい。

会議の時期って、こんな何カ月も前から決まるんだ・・・とちょっと興味深かったり。
当日は、自分もうちのと一緒に諏訪へ行く。

ま、文字通りの一緒には無理かな。
去年は朝の4時半頃にはもう出かけちゃったようだし、
そんな時間はまだ新幹線は走ってないし^^

会議場所が毎年変わるとは思えないから、
今年も前宮へ行けばいいのかな。
行って具体的に何するわけでもないけれど、
全国の諏訪神社の神様が集まってると思うと、それだけでも面白い^^


で、今日はまた別のことを教わった。

「蝋燭の火で神意をはかるのは卑弥呼の時代からのこと」

もちろん、そんな時代に蝋燭はまだないから、
「火を使って神意をはかっていた」という意味であり、
今でも神棚にお灯明をあげるのは、その名残なのだとか。

お灯明は邪払いかと思っていたけど、そんな意味もあったらしい。
面白いなぁ、と思うけど、
神棚のお祀りの時、実際にお灯明でもって
神様に何かをお伺いすることは可能なんだろうか、
と新たな謎が浮上したりも^^


知らないことを教わるのはめちゃくちゃ面白い^^
問題は、ヒント群だけじゃ何の話かさっぱり分からないから、
事が見えるまで軽く数時間がかり、なんてことがあること。
そこまで暇じゃないんだけどさぁ、と言いたいけど、
まぁ、謎解き自体も楽しいからやめられない^^

しっかし謎なのは、
何で今の今まで何も教えてくれなかったのか、ということ。
繰り返すけど、質問はもう山ほどしてきているのだ。
それでもずっと無視されてきたのに、
兼さん経由でクレームつけたら、教えてもらえるって、一体何なんだか。

自分の頼みは聞いてくれなくても、
兼さんの話には耳を傾けるらしい。

ま、夜もそうだけどね。
人の話なんか聞いちゃいない。
うん、また腹立ってきた。

寝よ。

三峯神社 ご眷属拝借札・付け札の扱い

今日は朝から作業返上で謎解きだった。
一番最初に解けたのは「自分の価値を認める」という指示だかアドバイスだか。
が、そこに至るキーワードが「なんでも鑑定団」「自作自演」という、
「なんじゃそりゃ?!」なもので・・・^^
唐突な番組批判(?)にうならされたり。

ちなみに「自分の価値を認める」の真意は・・・
わかるようなわかりたくないような。
まぁ、そっち系でよく言われる内容でもあり、
そんなに意味深にとらえなくてもいいか、な感じ。

続けて出てきたキーワードは、「束ねる」「神札」「横」。
「お札を束ねて(重ねて?)神棚の横に置け」と取れる。

神棚に入れ切らないお札は、神棚の横に置いていいと聞いている。
最初はその話かと思い、
重ねておくとしたら、頂いた時期が新しいのと古いのどういう順番で重ねるんだろう、
とか、いろいろ首をひねったものの、
その辺に関しては「あとでわかる」で返され・・・

その後、工作材料の買い出しに行って、その帰り、
家の玄関まで来て、はたと思い出した。

三峯のご眷属拝借では、拝借札の他付け札を頂ける。
基本的には玄関に貼るものだけれど、
貼付が困難な場合は、拝借札と一緒に置いておいても問題ないと三峰の説明書きにはあった。

だから、というわけでもないんだけれど、
去年同様玄関に貼ろうと思いつつ、ついついそのままになってしまっていて、
なるほど、束ねる神札とはこれのことか・・・と

が、神棚の横に置けって・・・?
玄関じゃなくていいのか??

まぁ、指示が神棚脇なら神棚脇でいいんだろうけど・・・

で、じゃぁ早速、と思ったものの、
ちょっと待て、付け札はともかく拝借札は・・・?
拝借札も箱から出すほうがいいのか?

個人的印象としては、拝借札はあくまでおいぬさまをお借りしましたの証書みたいなもので、
いわゆるご利益のある「お札」ではない気がしている。

なので、拝借札の扱いはそこまで気を遣わなくても、
常識の範囲内で丁寧に扱えばいいのではないか・・・と。

対して付け札は正真正銘の「お札」であり、
これを拝借札と一緒に、密閉とまではいかないものの通気口の小さな箱に入れておくのは、
お札としての効果が発揮できないのだろうと思われ・・・

ということで、拝借札はそのまま箱の中に、
付け札だけ取り出して、こうにして見た。
お札だけで置いておくと、風で棚のうしろ側に落ちそうで怖くて^^
DSCF0335.jpg

で、この状態でいいかとカードで聞いたら、即正解の分け御魂が出た。
確認で、拝借札は箱の中でいいか聞いたら、それも問題なし、と。

「扱いは臨機応変で可」と三峰からの説明書きにもある付け札だけれど、
本来の扱い方にならって玄関に貼るのがいいのか、
こうやって部屋に置くのがいいのか、その辺はちょっと判断がつかない。

部屋に置くほうがいいのかもしれないけれど、
もしかしたら、自分の場合に限り部屋に置くほうがいいのかもしれない。

というわけで、三峰のお札は・・・と一口に語れないので、
万が一「同じようにしてみよう」と思われたら、
そこは自己責任にてよろしくお願いします、と締めておく^^

ちなみに、神棚に入れないお札は、強力なお守りのようなものだとか。
なので、玄関に貼って外側に向けるより、
家の中に置いておくほうが、お家の守りになるのかも、とちょっと思った。
確認はしていないので、「こうです!」とは言い切れないけど。


ちなみに、兼さんもこのあとおいぬさまを拝借予定。
謎を解いているうちに、たちの悪いモノの影響を受けていることが見えてきて、
その対策として、「三峰のご祈祷(ご眷属拝借)を受けろ」と指示が来た。

キーワードを並べたら、
「三峰のお祓いは他とは比べ物にならないほど憑き物に効果を持つ」
となったので、そういう流れに。

余談だけれど、兼さんのブログで、
うちのとの関係が明かされていたり。
     

おいぬさまにご活躍いただいて、気持ち良く生活できるようになるといいな^^

本日の神饌

相変わらず、寝ているといろいろ食べさせられる。
昨夜は紅白まんじゅうと素麺ときゅうり。

他はともかく、紅白まんじゅうは・・・

朝、寝起きでうちのと合流した。
それ自体はいつものことで、そのままヒント収集の流れかと思ったんだけど、
気づいたら、一緒にお社の前にいた。

ぶっちゃけ、本当に神様だなんて思ってもいなかったから、
妄想内でお社に一緒にいるというのは初めてで、
なんだかものすごく妙な気がしたり・・・

想像で一人でお社の中へ侵入したことは何度かある。
お社の扉を開けて拝殿の中へ入って、
そこを抜けると(物理的には不可能だけど^^)、けっこう明るい建物の中だったり。
どこまで瞑想か空想がわからないけど、
部屋の一角に小さい文机があったっけ。

先日入った時には、拝殿を抜けたら、竹のはえる庭で、
その向こうに、戸のたぐいを全部取っ払ったらしい、吹き抜けの平屋が見えた。
そこにうちのがいるのが見えたから、回れ右して逃げたけど。
(何となくつかまりたくない気分だった)

で、今朝は・・・
お社前に一緒にいて、そのまま拝殿の中へ引きずり込まれそうになった。
一瞬、神隠しとか天狗にさらわれるとか、そっち系が頭をよぎって、その場で踏ん張ったら、
一言「お茶!」と伝わってきた。
「なんだ・・・^^」ということで、改めてちびに化けて、自分も中へ。

先日見たままの竹の庭と吹き抜けの平屋で、
縁側でゴロゴロしていたら、紅白まんじゅうが出てきた。

お茶と言ったわりに、汁気のものゼロだったけど、
紅いほう平らげて、現実に戻った。


一応ちびに化けたけど、拝殿に入るまで現実の自分だった気がする。
現実の姿でうちのと一緒にいるの、ものすごく嫌。

なんか、お社は好きだけど、
そこに好きじゃないシチュエーションでいたというのが、
自分の中でものすごく引っかかる感じ。

そうでなくても、昨日言われたことの真意が見えなくて気持ち悪いし、
文字通りの意味じゃないだろう、とは思うものの、
ことあるごとに似たような発言繰り返されると、
結局何が言いたいんだ?とひたすら首をひねることになる。

兼さんには「そのままの意味じゃ?」と言われたりもしたけど、
さすがにそれはあるまいし、冗談にしてはたちが悪い。
そういう話、自分が大っ嫌いなことくらい先刻承知だろうに。
・・・嫌がらせか?

面白くないから、明日辺りまたクレームつけに行くか・・・
なんか最近変な感じで、本当に嫌。

ま、とりあえず今日はもう寝よう。
またヒント集めれば、何か教えてもらえるかもだし。

交流と情報収集

自分自身のうしろの存在はもちろんのこと、
神社やお寺の神様仏様にも助けを求めることができる。

けど、うしろのご存在なんて、
そっち方面へ興味がなければそうそう知る機会もないだろうし、
神様仏様に至っては本当に存在しているなんて思わない人も多い。

だから、その気になれば四方八方から助けてもらえるにもかかわらず、
一人で苦労や問題を抱え込んで大変な思いをしている人も多いんじゃないだろうか・・・
とよく考える。

経過を思うと欠片も微塵も嬉しくないけれど、
そういうことを知る機会に恵まれた、
ということ自体は、今世での大きな収穫だと思っている。


うしろとの交流て、、何なんだろうと時々思う。
一口に見えないご存在との交流と言っても、本当にいろいろっぽい。
例えば、自分と兼さんでもやり方が全然異なる。

でも、もし自分のうしろと交流しようと思ったら、
カードや現実で拾えるヒント(車のナンバー等)を使うのが一番簡単で、
その次が瞑想という名の妄想・空想ではないかと思う。

一番最初にうちのを認識したのは、
夜布団の中で、「その辺にいるつもり~」と想像したら、
本当に何かの気配がそこにあるような気がして「???」となったのが最初。

気配の想像のはずが、想像内でだけれど、本当に存在しているような変な感じ。
もちろん現実ではないから、目を開ければ普通に自分の部屋が見えるだけなんだけど・・・

そのうち、想像のはずの気配が、
明らかに自分の想像とは関係ない動きをするようになってきて、
「もしかして、単なる想像じゃないのか??」と・・・

その後は、気配を認識しつつ寝落ちしそうになると、
夢とは少し違うけど、似たような感じで何かしらのイメージや言葉が伝わってきたり。

自分の場合は、想像の中で自分の姿をちびに置き換えると、
いろいろ情報が拾いやすくなったりもする。
完全に想像のつもりで、いろいろやってみるんだけれど、
想像なのにどうしてもできないことがあったり、逆に勝手にことが進んだりする。
その中で印象的だったモノやキーワードがヒントになったりもする。

あと、ものすごく不本意ながら、
うちのと密着すると、かなりダイレクトにヒントとなるイメージとそれを表す単語が伝わってくる。
ハッキリ言っておくけど、自分が好きでくっついてるわけじゃない。
いつも気づいた時にはもう「ちょっと待て!」な距離にいるし・・・
まぁ、ヒント欲しさにひたすら我慢・・・
(逆にちびの時は、自分から飛びついてるけど^^)

まぁ、見た目だけなら悪くないし、
普通ならカッコいいのが目の前にいるというラッキーな状況なわけだけど、
まったくその気のない相手にいきなり距離詰められても「おいっ!」としか思わんという・・・

と脱線したけど、
要は、自分のうしろと交流図ろうと思うなら、そういう手もあるという話。


うしろからの合図に、同じ数字やキーワードを繰り返し目にする、というのがよく挙げられる。
実際、そこから指示やアドバイスを受け取って、実際の行動に役立てるといいわけなんだけど・・・
自分と兼さん、それぞれ瞑想やら密着やらでヒントを収集すると、
軽く10個近くになってしまったり^^

合同謎解きが始まった当初は、
自分のほうが謎解き好きだから、兼さん宛の指示も解かせてもらってるのかと思ったけれど、
いざ解いてみると、明らかに自分宛の指示のほうが多く・・・
じゃぁ、何で一緒に?と首をひねったりも。

最終結論としては、兼さんが見えない部分でうちのの眷族だから、
仕事の一部として、自分宛のヒントを拾ってくれたらしい、ということになったんだけど。
昨日みたいにあほらしいこと言われると、
代わりに拾ってもらうのが、本当に申し訳なくなってくる^^

でもまぁ、時には本当に大事そうな指示も含まれているし、
謎解き好きには、解く過程が楽しめれば特に異存はない。
というわけで、生きている間中、情報収集しまくりの生活が続きそう。

やれば面白いし、役立つこともあるし、
興味のある方はお試しあれ、という・・・

まぁ、無責任に勧められるものでもないかもだけど。
万が一たちの悪いモノが近くにいれば、
自分のうしろとたちの悪いモノとを勘違いして、ニセ情報を掴まされることもあるだろうし・・・
なので、心配な場合は、三峰からおいぬさまをお借りしてから交流はかると絶対安全^^
と、ちょこっと注意書き~

教わったこと^^

先日三峰行った際、三峰の神職さんも取材に協力されたという本を二冊購入。
神主さんの日常を紹介したもので、面白エピソード満載で楽しく読ませて頂いたり^^

その中に、「子供が生まれた場合は、
神社へのお勤め(?)は一定期間控えないといけない」とあった。
出血を伴うため、死と同様「穢れ」とみなされるとのことだった。

そうなんだぁ、と興味深く読んだものの、
今日になって、少し不思議な気がしてきたり。

神様は出血を苦手とする。
死もそれ以上に苦手らしいとは認識しているけれど、
「出血」と「死」とは同義ではない。

どちらも苦手とするまでは共通でも、
一緒くたに語ることはできないんじゃないだろうか・・・と。

出血は、人間の体の内側にあるべきものが外に出ているのが苦手なのだとか。
出産も確かに出血があるけれど、
基本的には、女性の日のように何日もに渡ってではないと思われ・・・

まして、出産して、実際に出血された女性ならともかく、
その家族を出血で穢れていると見るのは、少しおかしいのでは・・・

その理屈では、家族の誰かが女性の日だったら、
一家全員その期間中は、神様の前へ出ることができなくなってしまう。
でも、実際にはそこまでのことではないわけで・・・


で、うちのに聞いてみた^^
「出産から間もなくでも、出血がおさまっていれば神社へ行って問題ないのか?」
「家族が出産した神主さんは、いつも通りお勤めして問題ないのか?」

答えは、いずれも「問題なし」だった。

理屈で考えて、「大丈夫なのでは?」と思っても、
こうやって裏が取れると、ホントすっきり~!
「やった!!」な感じ^^
久々に素直に感謝!だった^^


と、少し見えない側の事情を教われたわけだけれど、
それが事実であったとしても、
なんていうか、日本文化としての常識とか考え方というものも当然あるわけで、
実際に出産されたり、あるいは家族が出産した場合の行動については、
人それぞれの判断ということになるかと^^
あくまで、神様側には何の問題もないらしい、という話で。

もっと一杯いろいろ知りたいなぁ~



余談
更新したあと、兼さんから突っ込みが入った^^
出産の出血は女性の日よりも長いのだとか。
世の中知らないことがいっぱいだ。
見えないもののことはもちろん、見える範囲のことも・・・^^
プロフィール

こんこん堂

Author:こんこん堂

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